湘南科研第2回現地調査
2009.3.21〜2009.3.29
桂林到着。桂林集合なので、上海から、昆明から、香港からで
全員集まったら結構夕方になった。江華からわざわざ迎えに来
てくれた車に乗り込んで桂林空港を後にした。江華まで4時間
ほどの夜道を走るので、その前に腹ごしらえ。江華旅遊局の黄
さんの案内で、「桂林風光甲天下、陽朔風景甲桂林」の陽朔の
川辺にやってきた。お客さんで溢れている。ここの川魚を食べる
ために、わざわざ70キロも離れた桂林から来ている。魚の調理は
見もの。というより怖い?生きている巨大な鯉や鯰、草魚(ふな)
を中華包丁で頭をたたき、一気に解剖していく。それから厨房に
運んで兵隊用中華鍋(とにかくでっかい。直径は40-50cmかな)に
ジャーッと入れて一気に炒めあげる。唐辛子が一杯!皆食べられ
るかなと思ったら、風邪をひいてしまった先生以外は、皆ガツガツ。
余計な心配のようだ。ここにいるのは何年も中国で現地調査をこな
してきた先生たちだ。でも、魚より肉が好きな私でも、うまかった。

江華から大虚へ。80キロの山道を走る。途中で昼食をとるために
寄った鵞鳥料理専門の店に、たまたま北京から帰ってきて、下郷
(農村へ出張すること)している水利局長に会った。昼から乾杯だ。
中央政府から、江華のダムを100m、高さを上げる決定ときいている
から、そのことで北京出張だった。日本ではダムを造るのに時間が
かかりすぎ。江華の件では一年で決定かな。とくに、中央が決定した
事業に反対する運動なんて中国ではありえない。見たことない。
反対しても無駄だから。なぜなら、国民のために中央が決定したから
だ!?
宝鏡村を訪ねる。
これは非常に目立つ大金持ちの村だったようだ。これだけの建築が
何十年も前の貧しい中国の農村にできたからだ。
話を聞いたらなんと、日中戦争のときに、ここまで戦火が伸びなかった
らしい。自分たちで軍隊を持っていたらしく、破壊されなかったようだ。
ケ小平が国共戦争の時にこの村に滞在したらしい。
ただいまは、道路の向かい側に店が立つからもめているらしい。
両叉河へ。
車で来られるもっとも遠い村。
村議の方たちが迎えてくれて、大歓迎してくれた。
小学校は10日間の授業をやって4日間休み。合計2週間だけど、
それぞれ遠い山の向こうから(2、30キロ離れている)通うので、毎日
の通学は無理だから。バスなんてないわけだし、バイクのある家庭は
親が送ってきてくれるが、ない家庭は子供が自分で歩いてくる。
夕食は美味しかった、あの料理は。
でも、数字を1個教えてもらうために、米焼酎を1杯飲まないとだめと
言われるから、みな酔っぱらうわけ。
丈夫な体をもっていないと、現地調査はできやしないのだから。
両叉河の瑤族の村にやってきた。吊脚楼という建物に居住しているが、
昔はよく移動するために簡易的な建物だった。山の斜面に木を立てて
作るから吊脚楼という。でも、中をみると、囲炉裏があり、一階は生活用、
二階は農具の置き場。娘が嫁に行く前に、二階に自分の部屋を持つ。
建物は簡素だが、どこか合掌造りに似ている。中の構造は。
風呂桶は昔日本でもみられた。客人として泊まる場合は、熱々のお風呂に
入ってもらって、家の若い娘さんが背中を流してくれるらしい。経験した人は
つまり漢民族の客人は昔結構いたが、今は桂林や広州や深せんへ出稼ぎに
行っているから、若い人はあまりいない。昔のいわゆる三ちゃん農業と似ている。
おばあちゃんやおじいちゃんは衛星テレビが大好きだが、北京語が分からず、
孫がそばで通訳しながらテレビを楽しんでいる。衛星放送は、農山村は助かっている。

この日は壮語調査のために先に両叉河を後にした。
花粉季節に名古屋を脱出したが、ここも杉が一面だったが、よく見ると花粉が
飛んでいない。全く薬なしでも快適。
大虚に戻ると、ここ、溶岩の洞窟を案内された。あっちこっちあるようだ。
民宿の御主人の案内だったが、この洞窟で喫茶店をやりたかったらしい。
結局、若者は出稼ぎに行ってしまって、年輩の方たちは店でお茶やコーヒー飲む
習慣はなかったから、実現できなかったらしい。
壮語調査のため、江華に唯一の壮郷に向かった。江華林業局長の部下が
ここの幹部になっているから、インフォーマントの手配をしてもらった。
でも、壮語はむずかしい。もっとしっかりやらないとわからない。
瑤族と比べると壮郷学校の学生たちは結構よそ者に警戒心があったが、
ここの料理はおいしかった。瑤族は絶対に食べないが、犬の料理が出た。
江華語の調査で大変にお世話になった王先生は、どうしても家へご招待すると
おっしゃるので、お邪魔してみた。地元で有名な文化人の王先生一家は、4階建ての
マンションで、結構裕福な生活。奥様の手料理、これは見もの。江華の名物料理揃いで、
どれもおいしかった。残ったら食べる人がいないからといわれる、食い過ぎた。
夜は幼馴染の張さんの家にお邪魔した。子供の時に同じ国営会社で、家は隣。
よく一緒に遊んだ。二つ年上かな、もう可愛いお孫さん。江華ダムに勤めていた。